きぼう屋

希望さがして希望みつけて混沌の世界と精神を 今日も淡々と生きてみる。。。

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きぼう屋です。

本当の意味での平和になって
みんなのいのちが渇くことのないような

そういう◇ちきゅう◇になりたいと・・・

思ったことを書き連ねています・・・

これは講演・講義などのためのノートにもしたいので・・・
だからコトバそのものだけが見えるものにしたいので・・・
何の飾り気もなくてすみません。

日常生活から受けたこと
社会の課題から受けたこと
クリスチャンとしての歩みから受けたこと

それぞれ、詩、ノート、先人の言葉のメモ
というかたちで
ここに置いています。

カテゴリーから選択したりして
ご自由にご覧ください。


2020.01.01 00:00 | 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-) |
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ぼくの表面と
ぼくの深みとの

あいだを

いったり
きたり
してみても

それは
生きていなかった


ぼくと
きみとの

あいだを

いったり
きたり
してみたら

そうだ
生きていた




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ハーモニー


命の集まりにおいて
ハーモニーは不可欠

だた
覚えておかねばならないのは
そのハーモニーは
決して心地よいものではない
ものということ

それは
和音の中でも

不協和音

呼ぶべきもの

命は
めいめい
それほどに
豊かに異なり
それほどに
見事に一致しない

だから

うれしい



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敏感でならねばならないところで
敏感でいることができて

鈍感であってよいところで
鈍感でいることができる
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超越の場を知れ

自らのなにをもってしても
届かない
超越の場を知れ

地球一の頭脳をもってしても
宇宙一の筋肉をもってしても
届かない
超越の場を知れ

振動を超えて
音楽を超えて
直観を超えて
概念を超えて
生を超えて
死を超えて

がっちりと在る
超越の場を知れ
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<かつて>

王様とか
その国のえらい人の色に
みんなが染まらないといけなかった

10人いても1色

だから
みんな不自由で
窮屈だった


<いま>

生命の数だけ
色があることが発見された

10人いれば10色

でも
みんな不自由で
窮屈だ


<これから>

生命と生命の間の数だけ
色があることを発見せねばならない

生命と生命の間の
関係

和解
という色を発見せねばならない

計算式は
生命の数がAなら
{A×(A−1)}÷2

10人いたら45色

45色あるところを
10色でなんとかしてみようとしたり
1色で塗りつぶしてみようとしたら

そりゃあ
不自由で
窮屈だ



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アスファルトに咲く花のように・・・

私たちの心をふるわせる風景

メディアで取り上げられる風景


あの名もない花のように
わたしも在る

いまや誰もが共感する
ひとつの美しい風景


でも裏を返せば

みんながアスファルトに咲く花だと
自らを認識しているということ

冷たい世界で
孤独だと
認識しているということ


だから
本当は
もっと
その先の
当然に美しい風景を
大胆に見ることが

本当の希望で慰めなのではないか


つまり


森で
ありとあらゆる生命が
接触して
触れ合って
切磋琢磨して
よってたかって
わいわいと
一緒に在る

という風景


ぼくらは
アスファルトに咲く花ではなくて
豊かな森に招かれた生命であることを

つよく覚えたい



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自由に生きることを求めてきたけど

世に存在し生きるという
端的な事実が

覆い隠され
踏みつけられ

世のみんなで
死に向かうような時代だから

今は

生きる自由を求めたい

生きるためにすべき行動の自由を獲得したい



もっと言うと
生かす自由を求めたい

世のみんなが互いに生かしあうためにすべき行動の自由を獲得したい



でもって
死ぬ自由
死に向かう自由は
拒否したい

苦しくて死にたくなっても
そこには死ぬ自由があるんじゃあなくて
生かす自由を行使する他者が少なすぎて
生きる自由を獲得できない世界がある

教育を受けない自由があるんじゃあなくて
教育を受ける自由を獲得できない世界がある

働かない自由があるんじゃあなくて
働く自由を獲得できない世界がある

酒タバコドラッグの自由があるんじゃあなくて
依存しないでいい自由を獲得できない世界がある

ホームレスになる自由があるんじゃあなくて
ホームで生きる自由を獲得できない世界がある


自由は生きるためにある
自由は死ぬためにはない

死ぬ自由が消えるために
自由が
さらに
生かすためにあることも知らねばならない


自由は
生きる方向に向いているなら本物だ
死ぬ方向に向いているなら偽物だ


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論理がイイワケになりませんように

倫理がアリバイになりませんように


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他者(ひと)の重みのさいわい

ひとより受け
ひとを受ける重みのさいわい

その重みの持つ真実の軽やかさのさいわい

その重みが消えたときの
虚しき悪しき重みのわざわい

他者(ひと)と在るさいわい


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いつもの風景で安心
なんて思ったら
ぼくは
死んでいる

いつもの
なんて
きっとない
映る風景内のすべての微粒子ほどのいのちたちは
常に瞬間をもって異なる

そもそも
風景
なんてのも
きっとない

ぼくが風景としたとたん
すべてのいのちから生を奪う
ぼくの決めた過去の時点で
すべての微粒子ほどのいのちたちの生を
終わらせる

いつもの風景なんて
きっとない
だから
住み慣れた国や地域なんてのも
きっとない

いつでもどこでも
ただ
常に瞬間をもって異なる
すべての微粒子ほどのいのちに
新鮮に触れて出会うなら

ぼくは
生きている

いつだろうと
どこだろうと

ぼくは
生きることができる

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二十歳で学生という暇なころ
こむずかしい思想書を懸命に読んでいた
わかったつもりになりながら

でも

こむずかしい思想書の中身は
その後の「人生」の瞬間瞬間に
突如
顔を出してくれている

これからの「人生」では
さらに
顔を出すだろうから
「人生」を選び取ることもできるのか

しかし
あの頃は
単に日本語の勉強だった

今わかる

渋谷はセンター街のファーストフード店の
2階の通りに面した窓側の席で
センター外を歩く人々を観察しながら
こむずかしい思想書を読んでいた

センター街を歩く人々を観察しながら
ということがすべてを示すごとく
こむずかしい思想書を観察していた

2階の窓越しに観察しても
人々と出会うはずがないことがすべてを示すごとく
こむずかしい思想書のことばに出会うはずもなかった

単に日本語の勉強にすぎなかった

でもここにあまりに大きな間違いがある
そしてこれは世界における大きな間違いのようだ

2回の窓越しにセンター街の人々を語ることに
意味は本当にあるのか

下におりて
センター街を歩き
たくさんの人とすれちがい
ぶつからないようにしたり
歩く速度を変えたり
目が合ったり
声をかけたくなったりするという
ひとつひとつの
決断すべき事柄の連続を生きずして

ただ2階の窓越しに語ることは意味があるのか

それくらい
ずれたことが学ばれ語られている
世界になっていることは事実だろう

だから
端的に
下りて
歩いて
いちいち決断すればいい

それが思想書の中身というもので
それが世界というもので
それが人生というものに違いないから


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一つの結論

人が苦しむべき場所について

自分の力量や所有や技能は苦しむべきところではない
ぼくらが苦しむべき場所は
他者との関係性の中における
他者の深みに行き届かないことで
どうにもならなくなるという
そういうところ

人は自分のことで苦しむ必要はなく
人は他者とのことで苦しめばいい


人は自分で自分を苦しみから解放することはできない
しかし
他者によって苦しみから解放されることを繰り返す


要は他者


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この間わたしは
「答え」から「応え」へ
という事柄をテーマにぼんやり考えています。

たぶん、ここに現代世界の大きな誤りと
同時に転換可能性があると思っているからです。

現在の教育において私たちは「答え」探しに命をかけることを教わってきました。
それは「答え」があるというのが前提でもあるということです。
そして社会から「答え」を求められているのも事実です。

しかし、すこし考えれば、
生身のいのちたちが、歴史の中で物語を生きることにおいて
「答え」があるというのがアホらしいことに気がつくとも思います。

でもなんで「答え」に縛られてしまうのか。

たぶん安心するからだと思います。
「答え」がわかるとすっきりしてホッとするからだと思います。

また、「答え」がないと、不安だからだと思います。
不安に耐えるのが嫌だからだと思います。
そこで苦しむのが嫌だからだと思います。

苦しみ悩む力を、人間の力と考えなくなったからだと思います。

でも私は今の世界に必要なのは
「答え」ではなくて
苦しみ悩む「応え」だと思います。

世界の前提は「答え」ではなく
すべての前提は「苦しみ悩み」であることを確認せねばならないと思います。

人間の根源は「苦しみ悩む」事柄であって
人間はそれで人間でしかないところの人間として生きるのだと思います。

この十字架が人間と世界の中心だと思います。

だから私たちはたくさんの「答え」を知っていて
それをたくさん話す人は
知識が多くてすごいと尊敬できるかもしれないけど
その人にいろいろと悩み苦しみを語る気にはなれないのだろうと思います。

逆に私たちは
悩み苦しむ力を持っていて
こちらのそれをも一緒に悩み苦しんでくれるという
「応え」てくれる人には
一緒にいてもらいたいし、心底信頼したくなるのだと思います。

私たちは
「答え」探しではなく
「応え」探しをすべきだと思います。

「答え」は必ず理論になります。
理論は必ず数字になります。
「応え」は理論ではどうにも説明できません。
理論ではなく秘儀であります。

「答え」は数字なのでお金に換算されます。
「応え」はお金とは縁がありません。

「答え」はお金と不可分なので
「答え」探しはいつもお金探しと一緒になります。
だから、何をするにも自分に益があるような損得勘定により行われます。
「応え」はお金と無縁なので
「応え」探しは利害関係から解放されつつ行われます。

だから「答え」探しをする教育は
実は将来のお金探しのための方法論でしかなくなっているところが
今の教育の根本問題です。
金にならない授業は必要ないのです。

でも「応え」探しをする教育は
過去と今と将来を生きるいのちが
そう生きるしかないからこそ、そう生きるための行動を学びます。
だから出会うすべては教育となるのです。

「答え」で生きる時はかならず「目標」を強調します。
つまりそこでは時間も時間でいることがゆるされず、
ただの数字になるからです。
さらには「時は金なり」だからです。
そして「目標」という「答え」に近づくことのみが意味を持つようになり
他は排除されます。

「応え」で生きるときはかならず「目標」から解放されます。
そこでは端的に時間を生きます。
瞬間瞬間の状況においてひとつひとつ「応え」て生きます。
つまり決断の連続で生きます。
「応え」の積み重ねがそのまま人生、歴史になります。

「目標」を強調する空間は
「答え」が好きな空間です。

「決断」を強調する空間は
「応え」が好きな空間です。

ただただ未来の目標のみを語る政治は
「答え」が好きな政治です。
そして歴史に対する何の決断もしません。
そこでは歴史を生きることができません。
ただ地に足の着かないふわふわしたところを漂うばかりです。
だから何も産まれません。

歴史の瞬間瞬間を丁寧に生きて
ひとつひとつに「応え」る決断を繰り返す政治は
まさに「応え」る政治です。
そこでは罪責告白と和解が産まれます。

政治や教育だけでなく

キリスト教会が「目標」を強調すると
だいたいおかしくなります。
信仰とは神の行動(恵み)への応答で
つまり決断であって
「目標」達成の快感ではないからです。

「答え」にいのちをかけると
原理主義になります。
「応え」にいのちをかけると
愛に生きます。

「答え」は分かち合いません
「応え」は分かち合います

「答え」は人をつなげません
「応え」は人をつなげます

「答え」は孤独を生みます。
「応え」は仲間を生みます。

「答え」は脳みそで多くが作られます。
「応え」は体全部の具体的行動で多くが創られます。

「応え」はリスポンスですが
それではちょっと脳みそで作ること部分を多く含みすぎるような気がします。

レスポンスの議論はそこでいつもつまづくような気がします。

だから私は最近こう言い切っています。
「応え」はリアクションです!と。

リアクションも脳みそで作るものも当然含みつつ
体全部の具体的行動という意味合いが強いような気がします。

リアクションにいのちをかけるって
いいと思いません?

リスポンスという言葉で「応え」を考えるときにいいのは
リスポンシビリティという言葉も同時に考えられることです。
これが捨てがたいです。

つまり
「応え」ることこそ人間の「責任」なのです。
「答え」は二義的です。

「目標」にいのちかけることは
実は内向きな人や共同体によく見られます。
外向き
つまり愛にこだわると
そういうのは消えるようです。

歴史、人生はなにしろ外側とのかかわりなのですが
そのかかわることがしんどくなるときは
つまり悩み苦しむ力を持たないときは
内向きになり
自分の心探しをするようです。

それはつまり
他者を排斥し
自分の「答え」にこだわり
それが最も正しいと信じ
さらにそこに神を持ち出し
それが神聖だと信じてしまうという
よくある一連の動きのようです。

だから宗教はそこにはまり込みやすいようですが
ヒトラーなどがはまり込んだ場所であって
実は決してはまってはならないのだと思います。

と、まあ
ざっと
飛躍しつつ
書いてみました。

肉付けを数年かけてやりましょうか。

ではまた。

おしまい。。。


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呼吸を停止するほどに
息をひそめ
停止しきれなくなって
おのずと大きく呼吸し
その音に全身がふるえるほどに
おびえかたまり

耳をひそめる

足音

ひとり
ふたり
もっと
もっとたくさん

ブーツたちが階段をならす
こすれる金属音がただよう

ただよい
ただよい

秒ごとに
ただよう音の輪郭がはっきりと
太くなり

次第に
ひびき
さらにひびき
さらにさらに
ひびいてひびき

脳みそからつま先まで
振動が津波のごとくやってくるまでにひびき

すべてがとまった

開いた

銃口が向いた


人間からユダヤ人となった
家庭から収容所へとなった
生から死へとなった


このアンネの
聞きたくもないのに
聞こえてきた
骨の髄まで恐怖と絶望が支配するほどに
聞こえてきた
足音が

いま
ここでも

ただよっている

秒ごとに

輪郭をはっきりさせながら

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よそは知らない
うちが潤えばいい

食うもんあつめようや
飲むもんあつめようや
薬あつめようや
石油もガスもあつめようや
戦車もミサイルもあつめようや

金もあつめようや
ぜんぶあつめようや

なあ政治家同胞よ
なあ経営者同胞よ

それができるようになるんさ
もうすぐできるようになるんさ

とっくに戦争マニュアルの法律つくったんさ
とっくに盗聴できる法律つくったんさ
とっくに国民を数字にする法律つくったんさ
とっくに国に逆らえないようにするための歌と旗を仰ぎ見る法律つくったんさ
でもって国の思い通りになる人を教育する法律もつくったし

でもって
少しの人数の賛成者で
戦争できるよう
国の命令にみんなしたがうようになるよう
自由なんか消えるされるよう
福祉なんて自己責任になるよう
女は男の後ろにさがるよう
そういう憲法にかえるための法律も
もうできたも当然さ

でもって
あとたったの4年よ

憲法がかわるさ

でもって
なんでもかんでもあつめようや

でもって
さからうやつはやっつけとこ
外の国の人でも
うちの国のひとでも
やっつけとこ

でもって
とりあえず
さからう平和運動家はやっつけとこ
さからうちっぽけな野党はやっつけとこ
さからう組合もやっつけとこ
いても邪魔なだけの金かかる高齢者もやっつけとこ
国の言うとおりに勉強しない子どもも面倒になるまえにやっつけとこ
生意気な学生もやっつけとこ
なんか気に食わない同僚もやっつけとこ
権力の座をねらっていそうな側近もやっつけとこ

おーい
ほかにやっつけるやつはいないか

おーいだれかいないか

おーい


なんだ
うちひとりか
地球にはうちひとりか

せかいのすべてはうちのものか

すべてはうちのものか
うちひとりのもの
うちひとり
ひとり
ひとり

ひとり
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復活祭
とは言うけれど
いったい何が復活するの

世界が復活するの
わたしが復活するの

なにも変わらない

けど

世界のどこかのなにかのほんのちょっぴり
わたしのどこかのなにかのほんのちょっぴり

復活するっていうなら
きっとどこかのなにかがほんのちょっぴりは
復活すると思う

そうか

そのどこかのなにかのほんのちょっぴりが
世界の
わたしの
見つけるべき大切なもので
生きる源泉なんだろう


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希望に生きることのできない者は絶望に生きることができない
絶望に生きることのできない者は希望に生きることができない


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日々新たに生きる
これはさっきまでの過去が古くて
それをぜんぶ捨てて
あるいは忘れて
新たな未来を生きる
というような
時間をわけることなのか

そうやって
過去のねじれやけがれは無視するという
戦争の罪責なども忘れるという
そういうことなのか



日々新たに生きる
これは
過去から未来までの全部
つまり歴史を通して
その歴史がいつの時代も半分に割れているということだ
それは
古い半分と新しい半分

新しい半分とは
それでもなお命たちはつながり、かかわり
愛があふれ、和解が産まれるというもの

また、愛や希望や信仰という見えないものに信頼すること

古い半分は
自らの知力体力でなんでもできると信じ
知力体力の程度を基準として競争し
自らに益が飛び込むことを願い
命たちは断絶されていくというもの

お金や肩書きという見えるものに信頼すること

この古きと新しきが平行して歩む歴史において
日々新たに生きることができるか否かは
ぼくらの覚悟にかかっているのか

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だれも追いつきっこないスピードで
いまもひろがりつづける宇宙の
そのひろがりは
いのちのつながりとまじわりのひろがり

追いつきっこないことは
百もしょうちで
でも
今日も明日も
つながりまじわるいのちが
新しく
そう新しく与えられるのは
いのちがいのちであるための泉

追いつきっこないほどに
泉はさらに満たされて
潤いつづけて
枯れることがないから
いのちは潤い
けっして枯れはしない

なのに
わざわざ枯れようとするのはなぜ
ひろがりつづける宇宙を無視して
わざわざ国という小宇宙をつくって
完結させようとするのはなぜ
わざわざ家族という小宇宙で
学校という
企業という
宗教という
団体という
小宇宙でもって完結させて
いのちのつながりとまじわりのひろがりを絶つのはなぜ
わざわざ個人という小宇宙に閉じこもるのはばぜ
個人の心は宇宙だなんていう
心理学のことばは本当?
心は小宇宙が本当でしょ

そんな小宇宙から
みんな脱出したいから

やぶけるんだよ
個人も
家族も
学校も
企業も
宗教も
団体も
国も
社会も
世界も

やぶけて痛いって

痛いよ

だってそこから
あのでっかい宇宙が
飛び込んでこようとしているんだから

いのちのつながりとまじわりが
枯れることのない泉が
押し入ろうとしているんだから


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毎日の生活が
精確な時間と動きで
隙がなく
見事に無難に仕事をこなし
見事に無難に他人と接し
内外からすごいと敬われ
えらいと褒められるような
そういう機械らしくありませんように

毎日の生活が
行き詰ってばかりで
立ち止まってばかりで
計画なんて無駄になって
ぐちゃぐちゃで
ばらばらで
内外から理解されるなんて不可能なように不可能で
敬われたり褒められたりする基準にあてはまるはずがないようにあてはまらない
そういう人間らしくありますように


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愛されること
愛すること

これでぼくは生きる
ぼくは生きられる

でもぼくはときどき生きていない
ときどき生きられない

なんで愛してくれないの
なんで愛せないの

生きるから
生きたいから
求めるのに
求めると
生きられなくなる

一緒にいたいから
愛し合いたいのに
愛し合おうとすると
一緒にいられなくなる

愛されること
愛すること

どうやってできるの
いつできるの
どこでできるの

だれができるの

わたしにできるの





神ができる

愛は
神の可能性
愛は
ぼくの限界性

神が
愛する
神が十字架で愛する
神がいまここで愛する

神が愛するから
どんどんどんどん愛するから
そのおこぼれを

ぼくはもらう


***************


可能性という不幸と限界性という幸福への
応答として
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人間は人間であり
神にもモノにもなれず
神になった気になったりモノとして扱われたりしてはならず
人間が人間であり続けねばならず
人間は人間と共に生きるしかなく
生きる地である地球と共に生きるしかなく
共に生きることそのものにこそ
人間が人間であり続ける秘儀が隠されており
共に生きることそのものから
関係性の恢復と
同時に起こる人間性の恢復を
味わいつつ
人間が人間であり続けるために
共に内臓から叫び求め
行動していきたい

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人間が人間として幸福であるためには
自らのうちに可能性を見出すことをやめることだろう
逆に
自らのうちに自らの限界性を見出してみることだろう

可能性という範疇で生きるなら
人間は自分の可能性を追い求め
可能部分に対する
眼に見えるかたちでの評価を求めるだろう
それは結局
金であり
名声である

社会における各々の役割が
金や名声でもってランク付けされ
各々の役割は
もはや社会全体のための
他者のための
役割ではなくなり
自分が多くの金と名声を所有するための
自分のための役割となるだろう

しかし社会における各々の役割が
社会全体のため
他者のためであるなら
人間は
各々の役割を
自らのなすことのできるせいぜいの役割と認識するだろう
その役割が限界であることを知るだろう

お互いがそれぞれの限界性の中で
組み合わさっていることを知るだろう

そういう限界性においてある役割だから
それを天職とも呼ぶことができるのだろう

そもそも
人間という
ほんの一時期に
小さな地域で生きるしかない
小さな小さな存在は
限界だらけの存在だろう

幸福は
可能性を知ることでなく
限界性を知ることにある


********************


久々の記事は
最近ぼんやり考えていることを
書き連ねてみました。
かなり
いい線いっていると思いますが
いかがでしょう。

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計画して
目標決めて
達成して
喜んで
また目標決めて
また達成して喜んで

というのは

しあわせじゃあない

と知りました

ただ歩んで
ふと出会って
立ち止まって
歩む方向変えられて
またふと出会って
また立ち止まって
また歩む方向変えられて

というのが

しあわせ



やっと

知りました

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上と下
支配する者とされる者

教師と生徒
親と子
子と年老いた親
夫と妻
上司と部下
政治家と市民

支配するな
押し付けるな

と叫びつつ一方で

上を求める
支配する者を求める

頼りがいのある人
強いリーダーシップ

守ってくれ
導いてくれ

矛盾

抜け出せない矛盾

上も下もないのに
上と下ができてきて

どっちも悲しくなる

この悲しみを受け
悩み
痛み
苦しみ
憂い

抜け出せない矛盾の中で
互いに
泣く

ここに愛がある


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石がころがり
ぶつかりつまずく

このつまずきの石

投げ捨てようか
それとも
積み上げようか

つまずきの石

捨てたら
のこるは荒地

積み上げたら
つくられるはホーム



******************

血縁如何を問わず
家族、仲間、共同体、世界、地球は
つまずきの積み重ね
ですよね。

つまずきこそさいわい

エルマーノ
「仲間」なんて訳されるけど
そんな言葉で言い表せない
深い根源的つながりにおける
生々しい仲間を言い表す言葉
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生きる力のわきでるところ
欲求の言い換え
モチベーションなる流行語の言い換え
心の背景には自己肯定
自己肯定の背景には時代と地域肯定
時代と地域肯定の背景には全体を包むはみ出されないための雰囲気


はみ出されないための雰囲気にしがみつく力のわきでるところ

そんな力がわきでるとことに失望する
力がわきでなくなる
鬱はそういうものかも
ならば鬱はよりまとも


鬱ならまだ健康

失望するしかない力がわきでるか
そんな力ならわきでないようにするか

そんな心を捨ててしまうか

捨ててしまおう

生きる力は心からもらわなくてもいい

生きる力は愛からもらう
生きる力はわたしとあなたの
わたしとみんなの
みんなとみんなの
間の愛からもらう


生きるちからのわきでるところ
赦しの言い換え
救いの言い換え
十字架と復活の言い換え
創造と希望の言い換え
愛の背景にはキリスト

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今日(もう昨日か)
教会の礼拝で
ひとりのおばちゃんに
声をかけてもらった

いつもあなたのこと祈ってる。
あなたのこと愛してるよ。

身体の中心の中の中心に
力がみなぎるのを
瞬時に覚えた。

生きる力が
瞬時にわいた。

神が働くって
こういうことなんだと
信じた。
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我が家の息子たちは納豆で育っている。
これはけっしておおげさではない。

ところが
納豆が店頭から消えた。

「あるある大辞典」というテレビ番組で
ダイエット効果が抜群と放送されたからだとのこと。

スーパーをはしごして
なんとか買ってくる。

「ごめん、しばらくは一回一パックにして」
いつもは数パック食べる息子たちは不満げ。

おそらくパワーもいつものように出ないのだと思う。

でもって
すごいニュースが飛び込んできた。
「あるある・・・」のデータは捏造だったとのこと。
番組終了もありうるとのこと。

人の気をひくためにデータを捏造する。

タウン・ミーティングしかり。

イラク戦争もそう。

おそらく
世界のすべてが
マーケティング手法
すなわち
金と人間をどれだけ味方につけるかという方法で考えられる今、
みんな
ありとあらゆることを捏造するのだろう。

ある大きな教会が礼拝出席者を水増ししていたという事実もある。
ほとんどの新興宗教が信者数水増しをしてることは周知の事実。

テレビの報道における
たとえば政治のコメントも
そういうマーケティング的な暴露話のみ。
教育基本法の中身とか歴史とかは語られず
ただ、与野党間の調整方法とか、人数あわせの方法とか・・・

でもって

まあ
納豆が店頭に並んでくれそうで
さみしいながら

うれしい。。。
FC2 managemented