きぼう屋

希望さがして希望みつけて混沌の世界と精神を 今日も淡々と生きてみる。。。

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まず、私がカトリック信者であることをお許し下さいね。
カトリックと申しますと、「マリア様」ですね。
拙い読解力を総動員して、読ませて戴きながら、
私は一貫して、聖母マリアのことを思っておりました。
私は変なカトリック信者で、長いこと
聖母マリアというお方が分からなかったのでした。
なぜ我々は聖母を慕うのか、聖母の役割は何か、と。

かつて、そのことを或る神父様に訴えたのです。
神父様は「それはね…。」とは仰らず(即ち、「答え」を教えて下さらず)、
どんなときにも「出来事」を受け止め、
ひたすら思いを巡らした聖母のことを、
聖書のいくつかの箇所から見つけ出して、
読んで下さいました。ただ、それだけでした。
無学で貧しい大工の妻は、
まさしく「答え」を探そうとはなさらず、
痛みと悲しみとを、じっと黙って受けとめられました。

そして、長い時間をかけて、やっと最近、
私にも「母なるもの」の輪郭が見えてきた思いがしました。
「母なるもの」の「心」は辛く、寂しく、哀しく、
苦しいものですね。更には「愛しい(かなしい)」ものです。

さて、私たちカトリック信者が、勉強会の後などに、
「分かち合い」なるものを致しますと、
しばしば、「知識のひけらかし会」に陥る危険を感じます。
「分かち合い」という名の「答え合わせ」の会ですね。
すべての「分かち合い」がそうではありませんが、
私達が陥り易い危険です。

より豊かなものは、静かに苦悩を忍ぶことから
生まれてくる、その苦悩に陶酔してはいけないけれど・・そう思います。

しかし、小さく創られた私には、目の前に与えられた
「幼いイエス」を秘めた人に、できることで
接すること精いっぱいです。
それだけでも、どれ程に難しいことか・・。
何のコピーでしたか、
「しない善よりする偽善」・・
このコピー、大好きなのですが、
神さまの限りない愛に比べて、大海の一滴より
更に小さな自分が、たまたまそばに居合わせている
「苦しむ人」と「ともに居ること」・・
そのことを、一抹の罪深さを覚えつつ、
読ませて戴きました。感謝。

2007.05.17 11:07 URL | しゃぼん硝子 #- [ 編集 ]

しゃぼん硝子さん。
コメントありがとうございます。

主イエスは、99匹の羊と1匹の羊との間のリスクを、合理的常識的に考えて、99匹を守るというような答えを出さず、
1匹の今の状況に対して、リアクションしているというところが、真理性を持つのだろうなあと思いました。
じゃあ99匹は?
というと、実はその中から新たに一匹が迷い出たり危険な目にあるなら、主イエスは、その羊の状況に対して、すぐさまリアクションするのでしょうね。
わたしたちの生き方も、このリアクションの繰り返しでいいのだろうなあと思います。
答えを持つと、
合理性だけで判断する癖におぼれると、
行動に移ることの出来ない
遠くで見ることしか出来ない
つまり閉じこもってしまうという
そういう生き方になってしまうなあと
ある意味自省しつつ考えています。

長いこと書いていないのに、日々多くの人が訪ねてくれていて驚きつつ感謝しています。

これからもよろしくお願いします。

2007.05.18 11:15 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]

きぼう屋さん、おひさしぶりです。

しばらく書くのを止めていましたが、
少しづつ書き始めました。
書かなければ、前に進めないようです。


さて、この記事について、
ぼくも同じようなことをよく考えます。

だれかに決められた「形骸」よりも
自らの「運動」を大切にしていくことです。

悩んで、苦しんで、
人と交わって、独りで考えて、
それでもやっぱり分からなくて、
悩んで、苦しんで、
本当は時間の制限もなく、
いつまでも納得のいくまで
なにかを追い求める「運動」が
「応え」になり得ると、
ぼくは思うんです。

なのに、効率ばかりを考えて、
スピード重視の「形骸」ばかりになった
「答え」を求められる世界が
ぼくのまわりにはあります。

たしかに、ビジネスの上では、
それはそれでいいかも知れません。

でも、本当は最も大事なはずの
人間の問題、個人の心の問題にまで、
この効率の良さが求められているような
現状には、閉口するばかりです。

ドグマの中にいるものは、
そのドグマに気づかない。

こんな状況がつづけば、
出口も向こう側にあるものも
見失ってしまいそうで、
本当に怖いです。

ぼくは、団体にしろ、思想にしろ、
「動機」を失った「かたち」を信じません。

そこには、きぼう屋さんの言うように、
数字や目標ばかりがあふれていて、
一方向的な搾取にも似た
無機質な意図が見えるからです。

他者との関係の上に、
自分があることを忘れれば、
ぼくたちはどうなるか?

「答え」でどうにかできるなら、
その人には「答え」だけで
十分なのかもしれない。

2007.05.28 10:16 URL | 永田椿 #UNdLjkBc [ 編集 ]












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