きぼう屋

希望さがして希望みつけて混沌の世界と精神を 今日も淡々と生きてみる。。。

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はじめまして。
とても暖かいコメントをくださり、ありがとうございました。
感激しています。

読んでくださった詩をTBさせて頂きます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
リンクさせて頂いてもよろしいでしょうか?

2006.09.21 12:30 URL | さき #xkrvUG2I [ 編集 ]

きぼう屋さん、ごめんなさい。TBお送りできませんでした。
アドレスを送らせてください。
http://blue.ap.teacup.com/paletoutseul/12.html

2006.09.21 12:37 URL | さき #xkrvUG2I [ 編集 ]

美しい日本はきっと歴史の陰にあると思います。
黙々と働くことを喜びとする田舎のおばあちゃんやおじいちゃんのやさしい笑顔のようなものの中や
商店街の魚屋の親父さんの気風とか
計算高さを持たずに誠実に生きる人たちの中にこそ
日本の美しさがあったような気がします。
あの宮沢賢治がそれを見つめていたように・・・
それをあの方は見つめているようには思えないですね。

2006.09.21 17:37 URL | K太郎 #- [ 編集 ]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2006.09.21 19:10  | # [ 編集 ]

内容はラジカルですが、
シニカルで面白い文章ですね。
きっと、才能のある方なのでしょうね

2006.09.21 19:41 URL | 太郎 #- [ 編集 ]

僕は目を閉じてると思います。
耳もふさいでると思います・・・
ふさがれてるのかもしれません。

今日はゲームやったりしてすごしてたんですが・・・
このブログをみると、「何か考えなきゃ」と触発されます。
本当にありがとうございます。感謝してます^^

2006.09.21 19:50 URL | はむ #l.rsoaag [ 編集 ]

K太郎さんの出会った生活からの言葉、力があります。美しさをそういう具体的な出会いのひとつひとつであって、抽象的ではないのかもしれませんね。学びました。感謝。

2006.09.21 20:10 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]

とても正直なコメントで感動します。ぜひこの「その弐」の前段の詩であるひとつまえの詩を読んでいただければ幸いです。歴史に出会う我々が、自己と出会うことの困難さ、とりわけしんどい記憶と出会うことの困難さを描いています。同時に、歴史と出会うこともしんどいものです。わたしも日常の多くの時間はふさいで、聞こえず見えないようにしていると正直に言うしかありません。わたしの殻を壊してくれるのは、実際に61年前になげき苦しむ歴史を生きた方々の涙ながらの生の証言のみです。これは活字に可能なのか実際にはわかりません。戦争世代が次々に逝去される時代になりました。だから、その後誰がどうやって、戦争を悲惨を伝えるのか。それも経験していない者がどういう仕方で・・・というのがわたしのテーマです。またそれよりも、私たちの殻をどうやってやぶる事ができるかというテーマかもしれません。
わたしたちは歴史と向き合うことの出来ない者として、歴史と向き合うしかないというはざ間に生きているのではないかと考えています。だから、歴史と向き合うということは、この詩のように、戒めとして受けるのか、とも考えるのです。このあたりは理論にならない限界状況があると思います。
だから、はむさんの態度が本当に正直なところだと思います。
わたしも、詩という超越の許される仕方でない場合は、はむさんと同じこと語るしかないのかと思います。コメントをありがとうございました。

2006.09.21 20:25 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]

わたしは才能はないと思います。上のはむさんへの応答がもう表しているのですが、「はざ間」に立つしかない私がはざ間に立てるか、という挑戦をしているというところでしょうか。
読んで下さってありがとうございます。

2006.09.21 20:29 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]

わたしのみが見れるかたちでコメントを送ってくださいました。とても深いコメントでした。ひとつは史実の問題があろうと思います。しかし史実を確定させることは不可能と思います。不確定な認識で歩むしかないのが私たちだと思います。私の歴史認識は、ただ証言者の声や体の震えや涙や嘆きのみです。それを言葉化するのも限界があります。でもするかしないかとか、されたものがどうかでなく、ことばが生まれる背景そのものが対話の中で問われるのではないかと思っています。そして、もっとも大きな教訓として私が受けることがゆるされたコメント、すなわち、日本で生を受けている「わたしそのもの」が戒めを受けているというのは、まさにそういう詩であり、覚悟を決めて戒めを聴く決断をするわけです。貴重なコメント感謝に耐えません。

2006.09.21 20:37 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]

訪れてくださってありがとうございます。リンクの件、問題ありません。よろしくお願いいたします。

2006.09.21 20:38 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]

まず、コメンテイターの発言を管理人の発言と捉え、引用したことをお詫びします。
また、シーックレット扱いにしたのは操作ミスです。この点もお詫びします。

しかし、管理人に向けて発したコメントであることは間違いございません。
非常にごていねいなお返事を賜り感謝します。その上で申し上げます。

>ひとつは史実の問題があろうと思います。しかし史実を確定させることは不可能と思います。不確定な認識で歩むしかないのが私たちだと思います。

だからこそ申し上げております。過ちを改めるに憚ることなかれと。不確定な認識で断罪された者の気持ちはどうなりますか。

>私の歴史認識は、ただ証言者の声や体の震えや涙や嘆きのみです。

その気持ちを汲み取ることはとても大切なことです。それゆえにそこから感じ取るものを軽々にその対極にある者に対してぶつけてはならないと思うのです。

>それを言葉化するのも限界があります。
>でもするかしないかとか、されたものがどうかでなく、ことばが生まれる背景そのものが対話の中で問われるのではないかと思っています。

限界がある故に、大きな声を出したものの「背景」が一人歩きするということもあるのではないでしょうか。
美しい詩の中に、読む人が読むと血の涙を流す言葉が鏤められているのを見て、例えようのない気持ちの高ぶりを覚えました。

私とてかつて軽々に喧伝された話を信じ、先人を軽んじ、自堕落な日々を良しとしたことがありました。
それは自身を汚すだけでなく、隣人に堕落と忘恩を促すことでもあり、お互いに不幸以外の何ものでもありませんでした。
だからこそ、自分たちの歩みを見つめ直すとともに、隣人に対しても、知るところ、思うところを率直に申し上げるようにしております。
一方的に受け入れてばかりでは、悪意のない隣人の心から正常な認識・判断をかえって奪います。隣人のエゴを膨らませることは何よりも罪と思います。
同時に自身に対しても常に厳格でありたいと思います。

>そして、もっとも大きな教訓として私が受けることがゆるされたコメント、すなわち、日本で生を受けている「わたしそのもの」が戒めを受けているというのは、まさにそういう詩であり、覚悟を決めて戒めを聴く決断をするわけです。
>貴重なコメント感謝に耐えません。

しかし、この言葉に救われた思いがしました。感謝します。
われわれはこの国を思う自由が許されています。しかし、隣人たちはどうか。
日本が自由の国よかったと思うだけでなく、隣人たちも同じ自由を共有できるようにできることは何か、これも常に考えていきたい。そのように考えております。

2006.09.21 21:35 URL | 徒然なるままに #OEGHmvKY [ 編集 ]

情熱込めたコメントを感謝します。
ひとつ詩を受けるときの違いがあるのだろうと思いました。
わたしは日本の歴史を担う者です。そしてその代表として美しい国をつくる宣言をされた方がおり、それまたわたしが同時に担うものであります。そしてわたしのこととして、詩においては他者からわたしに、戒めが語られるという構造です。過去と今、わたしとあの方が対立的な構造では書いていません。しかし、詩であるので、読み手の受け方は多様になるとは思いますが・・・

2006.09.21 22:00 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]

こちらこそ恐れ入ります。

子どもを銃剣で突き刺したり、女性を辱めたりする国が
美しい国とはつゆほども思わないのは私も同じ。

あの「何をいう」の声の主は、
そういう国の為政者なのでしょう。
美女を権力ではべらすような。

もし万が一日本が該当するということであれば
その根拠を、日本に問題定義できる根拠をご存じの方に
ご教授願う姿勢はいささかも崩しておりません。

幸いあの詩のすべてを満たす国は
まだないようです。
近くのいくつかの某国がそれに近いようですが、
百点満点までいっておらず、
少なくともこのままではいけないと
思案し、行動するその国の人がいることに
まだ希望を捨てておりません。

2006.09.21 22:33 URL | 徒然なるままに #OEGHmvKY [ 編集 ]

この詩において、読み手は「何を言う」と語る見えず聞こえない者に自らを重ねます。そして歴史に転がる小さな声たちを聞き、傷を見ます。そしてそこから、読み手である「わたし」が「生きよ」と言われていくことを、はらわたえぐられる思いで受けていくというものです。
史実は、研究者によっては明らかにされないでしょう。わたしたちは各々自ら歴史を生きるゆえに歴史と向かい合うのみです。歴史は丁寧に転がる小さな声と傷を受けるところからのみ明らかになります。
歴史を客観的により蓋然性をもって表現する場合は、誰かが表現した歴史のまとめを読むのではなく、歴史との対話の仕方を学ぶことの出来るものを読むことをお薦めします。まずはマックス・ウェーバーのものなどはいかがでしょうか。岩波文庫でコーヒー一杯分の値段で出ています。「社会学方法論」というタイトルだったでしょうか。そこでもやはり、歴史に転がる小さな人、事柄への「追体験」が、歴史に蓋然性を持たせるポイントであることが書かれています。
そして、この詩は、わたしが詩というかたちで語る歴史です。
この詩の言葉の強烈さを受けて
ただ興奮したというものから、涙が止まらないというものまであることでしょう。それぞれの出会いの質量により、強烈な言葉ほどに入り込み方が異なるからだと思います。
あと
できたら
こういう社会思想詩のみでなく
実存詩のほうのコメントもほしいです。
テヘヘ

2006.09.22 10:43 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]

徒然なるままに

ここまで人を惹きつけておいて、お人が悪いですね。

ものすごく考える機会をいただいて感謝していますよ。
まだまだ語り尽くせぬというのが本当のところ。

>史実は、研究者によっては明らかにされないでしょう。わたしたちは各々自ら歴史を生きるゆえに歴史と向かい合うのみです。歴史は丁寧に転がる小さな声と傷を受けるところからのみ明らかになります。

本当そうですね。ていねいに小さな声と傷を受けることで、そのふりをしている者たちの出鱈目がよくわかります。
なるほどこういう見方もあったとあらためて感じます。
日本人は傷ついても声を出さず、傷をむやみと見せない美徳を持っていますが、それをいいことに、ありもしない罪を被せる人々には毅然たる態度も必要です。
そのためにももっと小さな声や傷も見逃さないようにしよう。過去についてだけでなく現在においても。

なぜそう思うかというと

イラクの子どもに
「フセインのせいでこうなった」
アフガンの子どもに
「アルカイダのせいでこうなった」
パレスチナの子どもに
「アラファトのせいでこうなった」

という人を許せないし、許さないからです。
少なくとも他国の不幸を喜ぶような国の人に付和雷同などしたくない。

2006.09.22 22:32 URL | 徒然なるままに #- [ 編集 ]












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