きぼう屋

希望さがして希望みつけて混沌の世界と精神を 今日も淡々と生きてみる。。。

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「永遠で本物の/幸せに生きるための/大事な何かを/見つけられたら・・・」本当に素敵でしょうね。そのためには現実とも戦って行かなければと思っています。また、時々、覗きに来て下さい。
私もあなたのコトバを読みに来ます。

2006.09.27 17:01 URL | 山野 #- [ 編集 ]

ぜひ、それぞれの場所でたたかっていきましょう。しんどいことがたくさんあってもめげない精神性、人間性を、このブログで考えているようなところです。今後ともよろしくお願いします。

2006.09.27 18:44 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]

やはり、実際の人とのつながりという当たり前のことなのだと思います、大切なのは。知っている人がそこにいるということ。必要なのは、難しい思想でもないし、完璧な制度でもない。そうですよね?

しかし、今いろんなところで言われている「グローバル」ということは、完全にそのこととは反対のような気がしてしまいます。絶えず、遠くにいる、身近でない人と希薄な接触をすること。そして、その相手の遠さが遠いほど、疎遠さが徹底している程、「グローバルである」と呼ばれてしまっているような気がします。

自分の身辺がしっかりしていれば、遠くの人も、身近に感じられるようになるのだと信じていますが、お互い、自分が、自分のいるその場所で、根付いていない場合、どんなに遠くと緊密になろうとしても、遠くにいる人を身近に感じ得ることは無理のような・・・。

そう考えているので、この詩に僕は賛同いたします。

2006.09.29 02:38 URL | 屋那雄 #.Zv/sWc2 [ 編集 ]

共感していただけて嬉しいです。昨今はなにかと、豊かな言葉が骨抜きにされ、逆の意味にされることまでありますね。「平和」って言いながら「戦争」するとか・・・「グローバリゼーション」も実際は希薄化ですし・・・
そのあたりの鍵になるのが「関係性」かなあとおもって、こんな詩を書きました。わたしもまた訪問します。

2006.09.29 06:31 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]

はじめまして、ブログのコメントありがとうございます!
訪問させていただきました。
自分もミッション系の高校に通ってたので、毎日礼拝があったり、色んな宣教師の方が来てお話をいただいたりしました。自分はクリスチャンではないですが、父親の家系がクリスチャンで実家が長崎ということもあり、おじいちゃんおばあちゃんともに被爆者ということもあり(二人とも元気に生きていますが)、平和という概念は常に自分の心の基盤にあるような気がします。
他人を愛すこと。
この詩のような状況が実際に起こったとき、誰かが”何か”に負けてボタンを押してしまうのが現実かもしれません。でも、軍部にいるような人が愛とその”何か”を天秤にかけたときに愛をかけがえなく重いと感じ、失いたくないと思うことが出来ると素敵ですよね。
そのときにこそ、軍または戦争というものが無くなる第一歩が踏み出される気がします。
この詩を書いていただいてありがとうございます。

2006.09.29 08:52 URL | jin #BikgAKP6 [ 編集 ]

わたしたちが立てるのは、そういうふたつのはざ間でしかないのでしょうね・・・
で、どっちを選ぶ決断をするか・・・
この決断って言葉が日本語では信仰と訳されていますが
ご両親の信仰は、こういう選択を迫られた時に、何を決断するか、ということを、長崎の歴史を生きる者として明確にしているということなかあと、勝手に想像しています・・・
で、
こういう決断が大事であって、
どの宗教を信仰してる・・・とかってのは・・・
二の次で・・・
決断という行為が起こらない信仰だったら・・・
もう逆効果で・・・
こういう奇跡の行為が積み重なって戦争が消えることを願っています。

2006.09.29 11:39 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]












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