きぼう屋

希望さがして希望みつけて混沌の世界と精神を 今日も淡々と生きてみる。。。

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訪問ありがとうございました。
特定の宗教を持たず、旅先等に寺社があったらお参りするという、古来の八百万の神々の流れで、特にどの神仏かに拘らないというのが私のスタイルです。
勿論、クリスマスもケーキでお祝いします。
ハムラビ法典でしたか、”目には目を・・・”が、目だけにしておきなさい、という復讐を制限する役割を果たしていたとは気がつきませんでした。
最近の凶悪犯罪の多発をみるにつけ、被害者感情をどう慰めるかなど、いろいろ考えさせられることが多いです。

2006.10.12 12:48 URL | のんびり行 #- [ 編集 ]

コメント感謝。
わたしは「宗教」がきらいです。
でも信仰は必要だと思っています。
人が生きるというのは瞬間瞬間の決断だと思いますが、その決断のときに、経験からくる直観、理性などで判断すると思いますが、そこにもうひとつ信仰を入れる必要があると思っているからです。
つまりアーミッシュのひとたちが信仰でゆるしという行為を決断したように、決断の幅が広がり、より自由になれるから・・・
ちょっと今の時代は、「宗教」という大枠が前面に出ていて、とりわけ神学が発達していない日本では、まずまったく議論が始まっていないと言っても過言ではなさそうです。
抽象的議論を神学議論と言うくらいですから・・・
被害者感情と同時に加害者感情にもわたしたちは共感共苦せねばならないと思います。今の世界システムでは、みんな被害者でみんな加害者かなあと思います。
このかんのこのブログの流れとしては、共感共苦の可能性として、アーミッシュから「ゆるし」というテーマを頂き、「ゆるし」という土台の上で可能ではないか・・・と行きかけているところです。
またよろしくお願いします。

2006.10.12 13:44 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]

訪問ありがとうございます。
私はすべての人がつながる、また共感しあうというのは価値観の壁により、難しく、そして理解しあうことは不可能と考えています。
でも、同時に人が考えていく上で、生きていくうえで、抽象的なことというのは、最も重要なことではないかと思います。
「ゆるし」の上での共感共苦、どちらにしても難しいことに変わりはないでしょう。でももしそれができたとき、私たちはどうなるのでしょうか。
人の感情が理解できないので、私には共感共苦が怖くもあります。

2006.10.12 20:45 URL | 無き終焉 #0uuyW.Uw [ 編集 ]

コメントありがとうございます。
抽象化は大事ですよね。例えばこのブログでしていることは抽象化ですし・・・
ただその抽象化が机上の空論にならないという
結構むずかしい事に取り組む必要は常にあるだろうなあと。
具体的な何かと結びついている抽象化。
でないと
その抽象化されたものは真理からはるかに離れてしまう・・・
ごまかすための抽象化=だますための抽象化もあるし・・・
そもそもゆるしが不可能上の可能性ですし
共感共苦も同じ場所にあるのかなあ
というところで・・・
でもこれだけ思想家が共感共苦(多くの場合「共感」と訳される)を語っているというコトを
わたしは簡単に排除できないところです・・・
だから経験なくとも希望としていただいていくという意味を見つけたいなあ・・・

2006.10.12 21:08 URL | きぼう屋 #- [ 編集 ]












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